log

パクリ②

12 03 *2010 | 病気のこと

アイコン

第2回目のパクリ。
この日大雨で旦那に途中まで車で乗せてもらったがすごい渋滞で歩くことに…。

2回目ということもあり落ち着いて打ってもらえた。
すると途中すごい眠気に襲われた。ドリの音楽ききながらいつも打っているんだけど、途中から記憶がない。帰りちょっとふらつく。『先週はならなかったのに』どれだけ緊張しまくっていたのか…私。
帰りはバスと歩きで帰宅。ぐったり…疲れた。

経過:
体調は良い方。食欲もあるが体はだるくしんどい。仕方ないね。

20:06

パクリタキセル開始

11 26 *2010 | 病気のこと

アイコン

11/26 パクリ第1回(初回でちょっと怖かったこともあり、帰りはタクシー+バス)旦那は仕事で休めず。

朝から緊張してしまった。やはり先週のことを思い出してしまうから。
もしもこの薬でも拒否反応出てしまったらどうしよう。どんな治療法があるんだろう?
この日はほとんど寝られず、緊張しっぱなしだったが、なんとか大丈夫だった。拒否反応もなく、最後までちゃんと打つことができた。あーーーよかった!
週1回はしんどいなあ…

経過:
体調は良い。やっぱりFECがどれだけ辛い治療だったのか改めて分かった。ただだるいのと口の苦さなどは変わらない。
なんと!髪の毛が生えてきた!つるっとしてたとこに産毛のような毛が!びっくりだ~

18:06

ドセタキセル失敗

11 19 *2010 | 病気のこと

アイコン

辛かった4クールのFECが終わり、11/19からは次の治療に移った。
どちらか選んで…と先生に言われた。

1.今までのように3週に1回打つドセタキセル
2.週1回を12回打つパクリタキセル

毎週来るのはしんどいなあ…ということで、ドセタキセルを打つことにした。

ベッドに横になりいつものように打ってもらう。
が・・・ん???なんか変。
吐き気止めを入れた後ドセタキセルが入った途端、心臓がバクバクした。
動悸、息切れ、せき込んで苦しくなった。どうにかなってしまう!
看護士さんがあわてて点滴を中止し先生を呼んでくる。

「大丈夫?!」先生も大慌て。
「この薬は使えないね…大丈夫かな?今日は休んで来週からタキソール(パクリ)にしてみましょう」って。えーーーーーーーー!
中止して薬ちょっとしか入ってないのに『4万円』も払った。
「拒否反応でて中止したのに4万払うんですか?」って聞いてしまった。
先生…4万円返してーーーーーー!

来週からのパクリ…大丈夫だろうか?心配になった。

19:36

抗がん剤 FEC-第4回

11 12 *2010 | 病気のこと

アイコン

FEC第4回これでこの薬の点滴は最後。
赤い薬…見るだけで気持ち悪くなりそうだった。この薬に移ると、目がピリピリしてくる。「あ~~~もうこれで最後」そう言い聞かせていた。
でもこれがなきゃ、私の中にある醜いがん細胞をやっつけることはできない。点滴をしてもらう間いつも『この1滴1滴が私の体の細胞一つ一つにしっかり行きわたるように…元気にしてください』と祈っていた。

10/29~
味覚の方がやはりおかしくなっていた。じっとしてると唾液がどんどん口の中にたまってきて、それが気持ち悪くてトイレに駆け込む。それがかなり頻繁でトイレ&流しに行くのも面倒になってしまい、とうとう洗面器にビニール袋をかぶせ、そこに新聞紙を丸めて入れて、そこに吐き出すようになった。枕元にそれがあっていつでも吐き出せる。出ては出し出ては出す…ほんとうに辛かった。
先生に話しても「今までそんな風になった人はいないなあ~」とだけ。ちょっとまってよ、先生。とりあえず吐き気止めが合わないのかも?ということで、吐き気止めをやめてみることに。しかし症状はあまり変わらず。
大体土日、具合をみながら旦那について行ってもらい買い物。またはゆうたんと旦那に買い物に行ってもらった。外出先で知り合いに会わないように…なんて避けてしまっていた。
は~^_^;私って弱い…。

21:28

抗がん剤 FEC-第3回

10 28 *2010 | 病気のこと

アイコン

髪の毛はかなり抜けてしまった。でもなぜか後頭部のところが残っている。
なんでそこだけ残る?
抗がん剤を打つ日は旦那に仕事を休んでもらい、朝早く7:30には家を出る(採血、診察、治療をする待ち時間が長いため)。病院まで車で送ってもらう。ゆうたんの登校時間ともぶつかるため、ゆうたんには鍵を閉めてもらう。お隣やご近所のママさんにお願いをして行った。旦那には私を送った後帰宅してもらい、私がすべて終わったらまた迎えに来てもらっていた。本当にありがたかった。

10/8~/13まで微熱が続く。(昼間に37℃台)
 /9から妹がお見舞いに来てくれた。ゆうたんと旦那と3人で外食に行ってもらう。ゴメンね。一緒に行けなくて…。
ご飯の炊ける匂い、おかずを作っている匂いまでもが気持ち悪くなってしまう。
吐き気は相変わらず…トイレに行っては吐き、布団に入って横になる。
口の中がまずい、苦いという症状がひどくなる。でも食べなくては仕方ないので無理やり食べれるものを口に入れる。すべてが不味い。アクエリアスやお茶、みずさえも苦く感じてしまい飲めなくなる。泣きながら口にしていた。

/24 そんな中ドリのライブ『ドリ×ポカリ』(横アリ2日目)に親子3人で行った。久しぶりの美和ちゃんとまささんの声に癒され、少しだけ病気のことを忘れることができた。元気になれた。

/27 この日、ドリのファンミーティング(JCBホール)に行った。ゆうたんと旦那に協力してもらった。すぐに食べれるように夕飯の準備をし、留守番を頼み、旦那には早めに帰宅してもらった。体調も良かった。wigをかぶり、帽子をかぶって行きました。ここでドリフレさんと初めての出会い。生美和ちゃん、まささん、東MAXに会えて本当に嬉しかったし、いっぱいパワーもらえた。

私の状況を知る知り合いからたくさん『頑張って』と応援してもらった。でも素直にその気持ちを受け取ることができなかった。「うん^^ありがとう」口ではそう言いながら『私はもうたくさんがんばってるの。元気なあなたに何がわかるの?放っておいてよ…』って心の中で思ってた。その時はそうとしか思えなかったの。本当にゴメンナサイ。

22:21

抗がん剤 FEC-第2回

10 07 *2010 | 病気のこと

アイコン

FECは3週間に1回を4クール。
血液検査をして白血球の数値が戻っていないと受けられない。
一度ストップすると初めからやり直しになってしまうので、この血液検査の結果聞くまでドキドキ。
朝8時前に病院に到着。血液検査の結果が出たら診察。そのあと点滴待ち。これがすっごい待たされる。10:30すぎにやっと呼ばれて、初めに吐き気止め(イメンド)を飲んで、効き目が出てくるまで待つ。そして中に通され、吐き気止め・FECを点滴。(45分間)午前中病院で過ごし、午後は帰ってぐったり横になる。そんなかんじ。

/25~/27両親が来てくれた。

9/17 第2回目投与
吐き気が激しく、食前胃液のようなものを吐く・・・。
/27あたりから口の中が苦くなる。味覚がおかしい。

/29 ドリカムのファンミーティングに当選!
これは私へのご褒美?ドリに間近で会えるかもしれない。でも具合悪かったらいけないかも?旦那とゆうたんに相談したところ「辛い思いしてるんだから、ご褒美だよ。体調良ければ行っておいで」と言ってくれた。うれしかった。
皆応援してくれてるんだから頑張らなくては。

23:10

抗がん剤 FEC-第1回

09 11 *2010 | 病気のこと

アイコン

手術後、療養のため仙台へ一時帰省をした。
抗がん剤投与の副作用の脱毛に備えて長かった髪をばっさり切った。
坊主にはしたくなくて、ショートヘアにしてもらった。
「結構似合うかも?!」なんてね。

そのあと術後の検診を終え、いよいよ抗がん剤投与スタートとなった。

第1回目投与(8/27)
ど緊張。母に付き添ってもらう。午前中に投与が終わり、午後自宅にいたがだんだん副作用が現れてくる。その日のうちに頭痛、脱力感、吐き気が4回。

5日目母が仙台に帰る。

だんだん日が経つにつれて、白血球が減少し始め、免疫力が低下。喉が痛くなってくる。抗生物質もらっていたが飲むタイミングが遅れ具合悪くなる。病院に電話して薬を飲む。

9/8の13日目。。。とうとうこの日が来た。
脱毛が始まったようだ。「季節の変わり目にあるよくある抜け毛」のような、まだそんなに気にならない程度だったのが、どんどん増えていく。旦那の胸を借りて『わーーん』と泣いた。一緒に泣いてくれた。
「大丈夫。治せばまた生えるから!」と。やっぱり避けられないんだ。ただ頭皮がピリピリしていた。お風呂もシャワーだけにしないと大変な事になる。シャワー浴びながら自分の抜けた髪を拾い、毎晩泣いてた。
相変わらず頭痛が激しい。

9/11 16日目
日に日に抜け毛が多くなる。やっぱりケア帽子だけでは外を出歩けない・・・ということで嫌で仕方なかった「ウイッグ」を作りにいった。
地毛を洗ってもらった後ドライヤーで乾かしてもらったが、その風だけでどんどん抜けていく。もう泣いても仕方ない。超ベリーショートにしてもらってゆうたんと一緒に写真を撮った。親子だから当たり前だけど、ゆうたんとソックリだった(笑)ものもらいもできてしまい眼科へ。

ケア帽子…家の中ではこれかぶって過ごした。病院に勤めている知り合いからもお見舞いにいただいた。最初手元にコットンのケア帽子2枚。これでいいやなんて思ってたけど、頭って思ってたよりも汗かく。洋服と同じだから汗かけば洗わなくてはいけない。バンダナも巻いてみたけど、寝ている間にズレてしまう。(危ない!笑)
お友達からタオル地で作られたケア帽子が気持ちいい^^と教えてもらいそれをネットで購入。あと、母が自分の病院で『タオルでケア帽子を自分で作る』という講習があり、それを受講。私のケア帽子を2枚作ってくれた。タオルだから肌にもやさしいし、汗も吸い取ってくれる。寝る時も気持ちがよかった。全部で計6枚^^

21:57

手術・退院

07 31 *2010 | 病気のこと

アイコン

手術まで3ヶ月・・・長いよ。
毎週手術が入ってて、私よりチョッピリ若い主治医のY先生も忙しいらしく・・・患者さんも多くて大変みたい。ただ、一刻も早く取り除きたい私には長い長い期間だった。

7/26から入院し、/28手術(全身麻酔・温存)、/31退院。
センチネル生検の結果、リンパへの転移も無かった。
母は切除した「ヤツ」(笑)を見たそうだ。
また手術後、先生から「○○さん~終わったよ」と言われ目を覚ます。
手術室から出る際、母とゆうたん(旦那は仕事)に迎えられたがぼーーーーーとしてて記憶なし・・・。ゆうたん、この日自宅に帰って母の前で泣いたそう。

手術後次の日「いつ帰る?明日でも帰れるよ」と言う先生。
え???えーーーーーーーそんな!ビックリした。ベッドが空いてないから早く回したいの?やめてくれー

17:23

ママ友達と大泣き

06 20 *2010 | 病気のこと

アイコン

ずーっと仲良くしている友達(闘病していた)に私の病を打ち明けた。
電話しながら2人で大泣きした。
部位は違うけれど、同じ痛みを味わっていたから。
「転移はなし」ということで、すごくすごく喜んでくれた。
2人で頑張ろう!乗り越えてみせよう!と誓った。
生涯の友達・・・だなあ。

16:55

実家の家族へ

06 15 *2010 | 病気のこと

アイコン

妹には5月の末に話をした。
父と母にはきちんと判明してから報告しようと思った。

病気の事告白したら
「なんですぐに電話してこなかったの!あほちゃうか!」と怒鳴られた。
この当時、母も病気と闘っていた。だから私のことで心配をかけたくなかった。ごめんね。

「こっち(仙台)に帰ってきて治療しなさい」とも泣きながら言ってくれた。
実は私の友達も闘病していた。その子は旦那さんには残ってもらい、子どもを転校させ、自分と子ども2人で実家に帰って治療していた。
私もすごく悩んだ。
その方が実家の家族にサポートしてもらえるし、旦那も安心かもしれない。でもゆうたんは4年生。私の病気が判明してから多分いろいろ気を遣ってくれている。私の病気のことでショック受けているのに、その上転校させるというのはかわいそう・・・。悩みに悩んだが、幸いな事に病院までの通院はしんどくなかったので自宅から通って治療することにした。

ごめんね、本当にゴメン。絶対治すから。

17:54