4月7日。
小さな余震はまだ続いているものの、その状態になんとなく慣れて、あまり驚かなくなった頃。
ライフラインが復旧して、元の生活に戻れそうだと安堵した頃。
そんな時、4月7日の23時半過ぎに、またそれは起こりました。
大きな余震でした。
3月11日の地震以来、夜、床についた途端に割と長い余震を感じることは結構あったので、今回もそんなものか?と思った瞬間。
「違う!」
あの時を思い出させる揺れを感じました。
布団から飛び出した途端、
「ガッシャーン」
と何かが割れる音が近くで鳴り、さらにパチパチと爆ぜるような光。
多分この瞬間に停電したものと思われます。
3月の地震の時に元に戻した本たちがまたバラバラと落ちる音もします。
雨戸を閉めているため、完全の闇の中、手探りで扉を探し、廊下に出ました。
廊下の電気をつけようとしますが、もちろんつきません。
両親の寝室に行くと母が姉から電話を受けていました。
そんなことをしている間も、地震の揺れは、全くおさまらないのです。
とりあえず、母の布団の中にもぐりこみ、頭を防御しました。
なんて長い、そして強い地震だろう。
この間の地震より弱いとは思いましたが、その分、時間は長いように感じられます。
と言うより、地震に耐性が出来て、より冷静になったため地震が長いと感じたのでしょうか。
永遠に続くかと思われました。
そんな長い地震も、終わりの時が来ました。
やっと治まった・・・。
でも、別の恐怖で私の頭はいっぱいでした。
母から電話を受け取って、姉が震度を教えてくれますが、私はほとんど聞いてません。
「福島は!?」
この地震で、確実に、原発はダメージを受けた。
そう思いました。
さらに、
津波。
石巻は。
気仙沼は。
南三陸は。
名取は。
宮古は。
大船渡は。
この恐怖に、再び、皆は、耐えられるのだろうか。
何とか、暗闇の中、携帯電話の光を頼りに、懐中電灯やろうそくを用意し、ラジオを聞いて、状況を把握します。
津波警報。
到達予想時刻が過ぎた。
けど。
私たちには、本当に津波が来たのか、来ていないのか、分かりません。
何とか、皆さん、逃げて。
そう思うしかない無力さ。
心の中で祈りながら、明日の為、ライフラインがまた断絶した時のことを考えて、鍋や水差し、タッパー、風呂に水を溜める作業を開始します。
ガスは幸いにもまだつきました。
数日前に復旧したばかりのガス。
でも電気がなければ、また風呂は駄目だな。
そんな風に考えます。
その瞬間、ものすごくがっくりしている自分を感じました。
それが終わると、ろうそくの光で自分の部屋があの日と同じようになっているのを確認し、家具を戻す作業を黙々としました。
壊れたのは、ガラスのランプシェードでした。
ラジオが、原発は無事だと教えてくれました。
ホッとしつつも、本当だろうか・・・と疑念が頭をよぎります。
そして、停電がまた各地に広がっていることも分かりました。
この暗闇で、津波が来る恐怖と戦うなんて・・・。
一通り部屋を片付け、一階で酷い状態になっている所を片付け、今日はもう寝ようということになりました。
本棚を集中しておいてある部屋は、前回の地震でもダメージが酷かったのですが、今回も同様でした。
「本なんてもう捨てたら?片付けるの大変だし」
という母の冷たい言葉(笑)に苦笑しつつ、本棚は明日片付けることにして、とりあえず寝ようということになりました。
布団に入ってからも、目がさえて眠れません。
3月11日の夜の方がすぐに眠れたくらいです。
あの時は、こんなことになっているなんて、まだ、信じていなかったから。
ここまでの現実があるなんて、まだ知らなかったから。
朝、明るくなったら、どうなっているのだろう。
朝、何を知ることになるのだろう。
そう思うと、眠れませんでした。
長くなったので、次回に続きます。