納豆。
昨日は、悲しい記事ですみません。
誤解があるとまずいので、書いておきますが、
昨日のような、「これくらいの被爆量は大丈夫です」と言うこと自体は間違っていないと思うんですよ。パニックが起こらないように、正しい認識を周知する意味で、とても大事だと思います。
でも、それならば、昨日のように地域限定の情報を流すならば、東京だけに放送すればいいことだと思うんですよね。
しかも、名誉教授のような人ならば、大学教授でなくても説明できるような分かりきったことをしゃべるのではなくて、もっといろいろする事があるのではないか(工学博士ならばなおさら)と思って、あえて記事を書きましたわ。
すみません。
ところで、納豆。
またもや「日本全国8時です」の今日の話題ですが・・・。
今日のゲスト、評論家の小沢遼子の第一声。
「納豆が買えないのよー」
我が家では、父しか納豆を食べないため、特に気にしませんでしたが、確かに納豆はないらしい。
しかし、その理由を彼女は
「買いだめのせい」
と切って捨てました。どうも自分以外の卑しい人々が、納豆を一人占めすべく、買いだめしていると言いたいらしいです。
はぁ?
てか、納豆は茨城産が多く、茨城は今回被災しており、納豆関連の工場も被害を受け、そのため納豆の流通が少なくなっている事は、ちょっと考えて、情報を得ようとすれば、すぐに分かる事です。
なんていうか・・・。
「ものがない=作れないからor運べないから」とつながらない発想の貧困さというか。
私も、今回の震災で、お店に物がない状況を見てきたつもりです。
それは、確かに買いだめのせいもあろう。
しかし、私は別の恐怖も感じました。
「もう、本当に買えないのではないか」と。
職場の同僚は、
「今回、お金があっても、ものがないと買えないんだなぁって、お金だけあっても、仕方ないんだなぁって、当たり前の事に気づきました」
としみじみ言っていました。
今、幸運にも、流通は復活しつつあり、スーパーにもものが並びつつあります。
でも・・・。
宮城県の水産業はご存知の状況でありますし、原発はあのとおりだし、
もしかしたら、お魚を食べられなくなるかもしれない。
いや、その通りであろう。
と、切実に感じています。
(今のところ、スーパーにはお魚は並んでいますが)
それ以前にも、
牛乳も、卵も、これが最後かもしれんね。
と思いながら生活してきました。
「納豆がない=誰かが買いだめしているから」
としか捉えられない評論家って・・・。
納豆の先にある、納豆製造工場や、納豆のパックを作っている工場、それを運んでくる人々・・・それに想いをはせて欲しい。
この人達、買いだめを蛇蝎のごとく嫌っているらしく、森本毅郎氏など、
「買いだめしてるのを見ると、『すげーなー』としか思えなくて、おれなんて、最初に餓死するだろうね」
などとうそぶいており、買いだめなんて下品な事出来るわけないと言わんばかりでありました。
そんな人に限って、いざそうなると、生に執着したりするんよね。
そうかと思うと、小沢女史、
「そうよねー、森本さんのとこなんて、奥様もおっとりしてるからついていけないよね・・・」
などと応ずる。
また女史、
「この間出かけた時、(自分にはそのつもりはなかったが)友人が最後に残ったトイレットペーパーを取ってくれたんだけど、自分が買いだめしたみたいで、嫌な気分だった」
とか、もう、何がしたいんだよ。という話をしておりました。
つまり、何が言いたいかっていうと、
ものは、人間が作っているのであり、魔法のようにスーパーに勝手に並んでいるわけではないのであり、お金さえあれば、ものが買える時代はもう終わりに近づきつつあるかもしれないのであり、ものがないからといって、すぐ自分以外のせいにするなという事なんですね。また、全国に向かって、無知をさらすなって事ですわ(爆)。
まぁ、そんなに頭に来るラジオなら聞くなという事なんですが、その前後で流している番組が、ローカル番組なのであり、そのローカル情報が、とても現地の役に立つ情報ばかりなので、聞かざるをえないんですね。
また悲しい話題で申し訳ありません・・・。