4月8日。
この日記は、前回の「4月7日。」の続きです。
一夜明けて、大きな余震の次の日になりました。
何があるか分からないので、早く起きて、仕事に向かうことにします。
昨夜のうちに、職場の人と連絡をとって、仕事場も停電していることは分かっていました。
余談ですが、3月11日の翌日も、私は仕事に向かいました。
家は、電気もガスも水も通じていませんでしたが、職場がどうなっているか分からなかったからです。
電話も全く通じませんでしたので、とりあえず仕事をするのかどうか確かめに向かいました。
その日は土曜日だったのですが、土曜日にしても、いつも渋滞する道は全く車がなく、信号も主要な信号以外は消えていたため(大きな幹線道路の信号は、停電時でも消えることはないのです)、非常に不気味でした。
しかも、道路には段差が出来、亀裂が入り、危険な状態です。
道路脇の建物の損傷に目を奪われつつ、安全運転を心がけました。
その日、やはり仕事はありませんでした。
周辺の様子を確認して、家に戻りました。
その時は、まだ被害の全容を、私は知りませんでした。ラジオからは、断片的な被害しか、伝わってきません。その時点で、海とは全く関係ない場所の区役所にまで津波が到達したとか、海辺には2〜300人の遺体が確認できるとか、放送していましたが、その内容が本当なのかも分かりませんでしたし、信じられませんでした。
そして、道路が空いている状態は、2週間近く続きました。
ほとんど車が通らないのです。
皆さん、仕事にならないので、自宅待機をされている方が多かったようです。
私は幸いにも、3月14日からは通常どおり仕事が出来ましたが(ガスは現在でもいまだに通じていませんが、仕事場の周りは、水と電気の復旧が早かったのです)、多くの方は、仕事にならず、家の片付けや、買出し、ガソリンの順番待ちに時間を費やしていたようです。
話は戻って、4月8日。
電気が通じてなければ、今日も仕事はないな。
と思いつつ、車を走らせていると・・・。
大渋滞!!
全く車が動きません。
やはり、前回の地震よりも被害は少なかったようです。
しかし、JRは終日運休になってしまって、車で通勤される方が多かったのでしょう。
いつもより1時間早く出たのに、全くつく気配がありません。
一応電話をすると、幸いにつながりました。
私「そちらの様子は、いかがですか?」
仕事場の人「電気、通じましたー」
私「あ、そうですか・・・良かったですー(・・・涙)」
仕事は休みになりませんでした。
いつもより1時間遅く仕事場に到着しました。
それにしても、前回の地震後に治したのに、さらに新たに道路の段差や亀裂が激しく出来ているのにがっかり。
しかも、対応の早さに驚きましたが、それを治す道路工事が既に始まっていて、渋滞が悪化。
さらに・・・。
前回損傷した道路脇の建物達がさらにダメージを受け、酷い姿を晒していて・・・。
この建物、お分かりいただけるでしょうか。
本来壁一面がガラス張りの大きな建物なのですが、ほとんどガラスが壊れてしまっています。前回の地震では、二箇所ほどしか割れていなかったのですが、さらに酷くなってしまいました。(これは、別の人に後日撮影してもらったものです)
そして、新幹線の線路上の電柱なども、折れたり曲がったりしていたのを治したばかりなのに、また折れ曲がっているのも目撃しました。
もちろん、被害はこれだけではありません。
そんなこんなを見ながらの出勤で、想像以上に疲れてしまいました。
もちろん、沿岸部の被害とは比べ物にならないのですが。
仕事場についた途端、ぐったりして、体中が痛かったのは、自分でも驚きましたが。
その疲れの中には、自宅の電気が通じていないという精神的疲労もあったのかと思います。
私程度でこれほどがっくり来るのですから、避難している方々の疲労やショックは、どれほどだろうと、また悲しくなりました。
幸い、自宅の電気はその日の朝のうちに復旧し、心配していたことは回避されましたが、夜中の強い地震は、本当に恐ろしかったです。
もし3月11日の地震が夜中に起きていたら・・・。
考えるだけでもひどいことです。
今回の余震で、被災地で復旧していた電気がまた使えなくなったり、水がだめになったりと、一歩下がってしまったことで、ショックが大きいと思います。
どうか、地震よ、もうおさまってください。