女中部屋のウェルシュラビット その1。
久しぶりに物語の食卓です。
今回は、イギリスの女流作家シャーロット・ブロンテ著
「ジェーンエア」より。
女中部屋のウェルシュラビットです。
いわずと知れた名作、ジェーンエアですが、子供のころ初めて読んだとき、その執拗な暗さと描写が印象的でした。畳み掛けるような情報量なんですが、次が気になってやめられない。
特に第一部のジェーンの幼少時代。義理の叔母、リード夫人一家から繰り返し受ける虐待や、ジェーン自身の恨み節、ローウッド寄宿学校での劣悪な環境を並べたてる描写は、壮絶です。
ジェーンは、確かに孤児なのですが、決して身分がリード夫人たちより劣っているというわけではなく、リード夫人の夫・つまりジェーンのお金持ちの実の叔父が生きていれば、おそらく叔父からは愛され、慈しまれて育ったのだと思われます。しかし、実際叔父は死んでおり、叔母のやり方は、その真逆でありました。
そんな中、ジェーンは必死に誇りを保ちつつ、自分の中に閉じこもって生きています。
孤児であることをことさら周囲から強調され、召使からも虐げられつつ、なおも誇りを持ち、召使は召使として自分より一段低いものとして彼らを見るジェーンの視線には、現代の日本人から見れば、どうも理解しがたいものがあります。
けれども、これが書かれた当時は、このようなプライドはあってしかるべきだったのでしょうね。
このジェーンの考え方は、徹頭徹尾一貫しています。
成長してからも、召使や田舎の貧しい人々に対するジェーンの厳しい視線は変わりません。
おそらく、幼少のころは、自分が得るはずだったのに得られなかった叔父からの愛が、ジェーンの根拠のないプライドの元だと思われますが、成長して、教師となってからは、完全でないながらも、学校で得た教養がジェーンを支えたのでしょう。
と、身分制度に詳しくない私なんかは、そう考えてしまいますが、おそらく実際はもっと単純で、「自分はあの階級ではない」という意識だけが、ジェーンのあの態度や考え方の元だったのかも知れませんが。
といっても、ジェーンがかたくなにその階級の人々を受け入れなかったのかというとそうではなく、ジェーンが受け持った学校では、田舎者の生徒たちの個性や性格を尊重するようにもなりますから、きっと、「無教養=下品」というジェーンの固定観念が拒否反応を起こさせたのかもしれません。
さてさて、また前置きが長くなりましたが、本題の女中部屋のウェルシュラビットについてです。
これが出てくる場面は、第一部のジェーン幼少期のころです。
例によって、リード夫人たちに虐められたジェーン。
リード夫人による、人間性無視な虐待に、ついにジェーンは激しい恐怖から失神してしまします。その時、ジェーンにとって、唯一わずかながら自分を尊重してくれる(?)と感じている保母・ベッシィと、ジェーンを完全に馬鹿にしている小間使いのアボットとの会話で、ウェルシュラビットが出てきます。
ベッシィは少なくともジェーンを心配するのですが、アボットはまったく同情せず、あまつさえ夫人の娘でジェーンを苛めている美しい従姉のジョージアナを褒め称えます。
「ええ、あたしは、ジョージアナさんが大好きよ!可愛い方だわ!
長い巻き毛と青い目、あの綺麗な肌の色、まるで絵に描いたようだわ!
ベッシィ、あたし、夕食にはウェルシュラビットが食べたいわ」
このアボットの台詞。女中の無神経さと軽薄さがよく現れた台詞です。
リード夫人の娘が美しいとほめるところまでは分かるのですが、まったく脈絡もなくウェルシュラビットが食べたいわ。と言い出すのは、異常に唐突に思えます。
これはつまり、アボットが話しをするうちに、ジェーンのことをすっかり忘れていることをあらわしているのでしょうか。それほど、この女中にとって、ジェーンのことは取るに足りないことだと。
この無関心さに、読者は改めて、ジェーンの孤独を知ることになるのでしょう。
イギリスの貴族は、目の前にご馳走が並んでいても、がっつくことはマナーとしてマイナスで、まるで食べ物がそこにないように振舞うのが好しとされる・・・とどこかで読んだ覚えがありますが、そんな事情もあるのかな。
あからさまに何か食べたいと口にするアボットはやはり下品な召使階級であると言いたいのか・・・。
(日本文学でも、平安時代の読み物などでは、何か食べたり飲んだりする主人公は珍しいとされていたようですが。)
対して、幼少期のこのころのジェーンは、食べ物に対して、異常に消極的です。
何か食べ物を用意されても、その前に起こった事件のショックによって、まったく食欲を失っていたり、緊張しすぎて、食べられなかったり・・・。
まるで夢の中の食べ物のように、おいしそうなものはジェーンの前を素通りします。
また、保母のベッシィも、ジェーンが食べられなさそうな時に限って、おいしそうなものを用意してくれるんですよね。ベッシィにしてみれば、心配して用意しているのですが。どうしても、タイミングが合わないようなのです。
これはもしかしたら、ジェーンが肉体的な充足以前に、精神的な充足、つまり愛情を欲してるのに、それがかなえられないことをあらわしているのかな、なんて思いました。
さて、ウェルシュラビットです。
ウェールズ地方の食べ物で、言ってみればチーズトーストらしいのですが、文中では「チーズを溶かし、ビールと混ぜて焼きパンにぬったもの」 と説明されています。
ビールが入っているというところが、子供心になんとも不可思議だなぁと思っていました。
それこそ、貴族の食卓には出てきそうにはありませんが、いかにも庶民の食べ物に思えます。でも想像するだけで、熱々で、お手軽にできそうだけど、とってもおいしそうです。
というわけで、前置きが長くなりすぎましたので、次の記事で作ってみようと思います・・・。
いつもすみません。
今回は、イギリスの女流作家シャーロット・ブロンテ著
「ジェーンエア」より。
女中部屋のウェルシュラビットです。
いわずと知れた名作、ジェーンエアですが、子供のころ初めて読んだとき、その執拗な暗さと描写が印象的でした。畳み掛けるような情報量なんですが、次が気になってやめられない。
特に第一部のジェーンの幼少時代。義理の叔母、リード夫人一家から繰り返し受ける虐待や、ジェーン自身の恨み節、ローウッド寄宿学校での劣悪な環境を並べたてる描写は、壮絶です。
ジェーンは、確かに孤児なのですが、決して身分がリード夫人たちより劣っているというわけではなく、リード夫人の夫・つまりジェーンのお金持ちの実の叔父が生きていれば、おそらく叔父からは愛され、慈しまれて育ったのだと思われます。しかし、実際叔父は死んでおり、叔母のやり方は、その真逆でありました。
そんな中、ジェーンは必死に誇りを保ちつつ、自分の中に閉じこもって生きています。
孤児であることをことさら周囲から強調され、召使からも虐げられつつ、なおも誇りを持ち、召使は召使として自分より一段低いものとして彼らを見るジェーンの視線には、現代の日本人から見れば、どうも理解しがたいものがあります。
けれども、これが書かれた当時は、このようなプライドはあってしかるべきだったのでしょうね。
このジェーンの考え方は、徹頭徹尾一貫しています。
成長してからも、召使や田舎の貧しい人々に対するジェーンの厳しい視線は変わりません。
おそらく、幼少のころは、自分が得るはずだったのに得られなかった叔父からの愛が、ジェーンの根拠のないプライドの元だと思われますが、成長して、教師となってからは、完全でないながらも、学校で得た教養がジェーンを支えたのでしょう。
と、身分制度に詳しくない私なんかは、そう考えてしまいますが、おそらく実際はもっと単純で、「自分はあの階級ではない」という意識だけが、ジェーンのあの態度や考え方の元だったのかも知れませんが。
といっても、ジェーンがかたくなにその階級の人々を受け入れなかったのかというとそうではなく、ジェーンが受け持った学校では、田舎者の生徒たちの個性や性格を尊重するようにもなりますから、きっと、「無教養=下品」というジェーンの固定観念が拒否反応を起こさせたのかもしれません。
さてさて、また前置きが長くなりましたが、本題の女中部屋のウェルシュラビットについてです。
これが出てくる場面は、第一部のジェーン幼少期のころです。
例によって、リード夫人たちに虐められたジェーン。
リード夫人による、人間性無視な虐待に、ついにジェーンは激しい恐怖から失神してしまします。その時、ジェーンにとって、唯一わずかながら自分を尊重してくれる(?)と感じている保母・ベッシィと、ジェーンを完全に馬鹿にしている小間使いのアボットとの会話で、ウェルシュラビットが出てきます。
ベッシィは少なくともジェーンを心配するのですが、アボットはまったく同情せず、あまつさえ夫人の娘でジェーンを苛めている美しい従姉のジョージアナを褒め称えます。
「ええ、あたしは、ジョージアナさんが大好きよ!可愛い方だわ!
長い巻き毛と青い目、あの綺麗な肌の色、まるで絵に描いたようだわ!
ベッシィ、あたし、夕食にはウェルシュラビットが食べたいわ」
このアボットの台詞。女中の無神経さと軽薄さがよく現れた台詞です。
リード夫人の娘が美しいとほめるところまでは分かるのですが、まったく脈絡もなくウェルシュラビットが食べたいわ。と言い出すのは、異常に唐突に思えます。
これはつまり、アボットが話しをするうちに、ジェーンのことをすっかり忘れていることをあらわしているのでしょうか。それほど、この女中にとって、ジェーンのことは取るに足りないことだと。
この無関心さに、読者は改めて、ジェーンの孤独を知ることになるのでしょう。
イギリスの貴族は、目の前にご馳走が並んでいても、がっつくことはマナーとしてマイナスで、まるで食べ物がそこにないように振舞うのが好しとされる・・・とどこかで読んだ覚えがありますが、そんな事情もあるのかな。
あからさまに何か食べたいと口にするアボットはやはり下品な召使階級であると言いたいのか・・・。
(日本文学でも、平安時代の読み物などでは、何か食べたり飲んだりする主人公は珍しいとされていたようですが。)
対して、幼少期のこのころのジェーンは、食べ物に対して、異常に消極的です。
何か食べ物を用意されても、その前に起こった事件のショックによって、まったく食欲を失っていたり、緊張しすぎて、食べられなかったり・・・。
まるで夢の中の食べ物のように、おいしそうなものはジェーンの前を素通りします。
また、保母のベッシィも、ジェーンが食べられなさそうな時に限って、おいしそうなものを用意してくれるんですよね。ベッシィにしてみれば、心配して用意しているのですが。どうしても、タイミングが合わないようなのです。
これはもしかしたら、ジェーンが肉体的な充足以前に、精神的な充足、つまり愛情を欲してるのに、それがかなえられないことをあらわしているのかな、なんて思いました。
さて、ウェルシュラビットです。
ウェールズ地方の食べ物で、言ってみればチーズトーストらしいのですが、文中では「チーズを溶かし、ビールと混ぜて焼きパンにぬったもの」 と説明されています。
ビールが入っているというところが、子供心になんとも不可思議だなぁと思っていました。
それこそ、貴族の食卓には出てきそうにはありませんが、いかにも庶民の食べ物に思えます。でも想像するだけで、熱々で、お手軽にできそうだけど、とってもおいしそうです。
というわけで、前置きが長くなりすぎましたので、次の記事で作ってみようと思います・・・。
いつもすみません。